ライナーノーツ

どんなに丹精を込めた、自分が美味しいと思うオリジナルの料理を作ったとしても、先ずは一口食べてもらえないとね!好みってあるし、十人十色の色々な感じ方ってあるから、また面白い。
音楽もそうかなと思う。

既にアルバムを手に取って聴いてくれた方々にも、これから聴いてみようと思ってくれる方々にも、曲を楽しんでもらえるように。
今は葉山の長者ヶ崎で海を眺めながら、アルバムのセルフライナーノーツを仕上げている。 オンショアで風が強くて、砂が吹きつけている。 次なる歌旅に想いを馳せながら。

2023.04 Ryu The Daddy

Ryu The Daddy Band 1st Album『Baby Girl』

1.bird&me

世界を周る船旅に出て、その魅力にハマった。
外洋の深く碧い海の色や空、水平線や海鳥を見つめながら、 ひとり甲板で潮風を感じながら、想いを巡らせる。
そんな時間が肩の力を抜いてくれる。
帰国後も、そんな時間を求めて小笠原諸島の父島に船旅を繰り返した。
港を船出して、陸地が見えなくなり、
しばらくすると海の色が色濃く変わってゆく。

360°海。

色々な気持ちが巡り巡る。

その空気感をバラードではなく、ブルースではなく、俺が感じるロックンロールに乗せたくなり曲を作った。イントロのリフが、船が波に揺れながら、海路をひたすら旅ゆくイメージになって、2つのコードだけで展開していった。
様々な葛藤をかかえた男が、甲板から海を眺めながら、飛び廻る海鳥に自由を感じている。
海鳥と男のうた。

2.over

長年歌い続けているナンバー。
若い頃、とんでもなく破茶滅茶で思惑どおりにいかないもどかしさをいつも抱えながら、 見えない何かと勝手に闘いながら、酒をかっくらい過ごしていた。
破天荒なのがロックンロールのカッコ良さだと履き違えていたり、 思うがままにやりたい放題の日々。
結婚をして、娘が産まれても、そのスタイルを変えられず、結果離婚をする事になり娘とも会えなくなった。離婚間近の葛藤する日々に出来た曲で、前妻が娘を連れてライブに来てくれた時に歌っていたナンバー。本当は上手く行くように願って作った歌。
当時はいっぱいいっぱいのover。
今では、人生で起こる色々な出来事やぶち当たる壁を乗り越えてゆくんだというover。
俺と共に成長している大事な曲。

3.ありのままのスタンス

長年過ごした地元の東京国立を離れ、パートナーのeiquitaと一緒に海がある葉山に移住した。
コロナ禍で、世の中みんなが困っていたとき俺自身も生活に息苦しさを感じていた。
同調圧力と言われるものに屈しない為にも歌い続ける為にも、自分らしさを見つめ直す必要があったから。
葉山の御用邸の近くに、長者ヶ崎という素敵な場所があり、平日無料の海が見える駐車場もあり、お気に入りになった。
車にギターやサップボードを積んで、よく行くようになり、サップで海に入ったり、曲を作ったり、歌詞や音楽の事を考えたりするのに欠かせない場所になった。
ある日、メロディだけある曲の歌詞を考えながら、海を見ながら散歩をしていた。
お昼時でお腹も空き、海の見える公園のベンチに座り持ってきたランチを楽しんでいたら、突然トンビにランチをつつかれた。
気分良くいたのに台無しだぜ!なんて思っていたら、ふっと歌詞が産まれた。
そりゃお前もお腹すいてるよね!って。
本能を感じて、俺も自分らしく生きようって想いが形になった曲。愛してやまないレゲエの空気感を俺なりに昇華させたナンバー。

4.アロハの心で

友人の結婚式でオリジナルの曲を作り歌って欲しいというオファーがあった。
ハワイ好きのカップルで、テーマはアロハ。
アロハの一文字一文字には意味があり、
素敵な二人をイメージしながらも、ロマンスが実り幸せを感じる瞬間を想い描いてみた。
結婚パーティでの歌のオファーがあった時によく歌うウェディングナンバー。

5.サイダー

このアルバムの企画段階で、熱望していたのはotherghat(アザーガート)のフロントマンで、ソロでも全国ツアーで歌い旅するシンガーdsk.og(ダイスケアザーガート、通称Dちゃん)による楽曲提供だった。
俺がボルサリスタのフロントマン時代からの盟友で、当時Dちゃんはレインマンのフロントマン。長い事生活の中心であったバンド活動に終止符を打ち、解散ライブをすることを知った。レインマン解散ライブまでカウントダウンという最中、Dちゃんの旅ブログをたまたま目にして、夢中になって読んだ。
バックパッカーで世界を放浪していた頃からのもので、その物語に感銘を受けて、それを本人に伝えたりした。
ちょうどその頃の俺は、ボルサリスタの活動のピークを迎え、デカいコンテストに敗れ途方に暮れ、夜な夜なバーカウンターで歌うだけの日々を過ごしていた。

数年が過ぎて、Dちゃんがソロでまた歌い始め、新たにアザーガートを結成する頃、俺にもソロライブのオファーをくれるようになり、共演する事が増えていった。
この先どうやって音楽を続けていくのか、迷っていた日々に一筋の光を感じ、ライブ共演を重ねる度にDちゃんから色々教わった。

Ryu The Daddyとしての初の音源であるシングル『baby girl / over』は、Dちゃんのディレクション&共同プロデュースによって発表する事が出来た。
ソロでの初ツアーを組んでもらったり、物販や運営に関しても手解きを受けたり、今の俺が音楽活動を続けられているのはDちゃんのおかげと言っても過言では無いくらい。
全国発売されたdsk.ogとしての初のソロアルバム『蝶の舞う速度で』に収録されているナマステヤーマンと言う楽曲で、歌とギターで参加させてもらった。
その曲を歌う事で、改めて詩人としての魅力、言霊の素晴らしさを感じ、自分のアルバムに楽曲提供という形で是非参加して欲しいと云う想いに至った。
Dちゃんの大事な秘蔵曲『サイダー』をRyu The Daddy Bandのアコースティックアレンジでレコーディング。珠玉のバラードナンバー。

6.feel all right

船旅から帰国してすぐの頃、地元国立のサーフショップzipsea(当時island cafe HANA)の昌ちゃんに誘われて、ロングボードでサーフィンをするようになった。湘南や千葉に仲間たちと行って波乗りしたり、キャンプをしたり。
波待ちのチルな時間や、海から上がった後のビールやBBQ、みんなの笑顔が最高で。
日々頑張っている仲間が集って、嫌なこと忘れて羽を伸ばす瞬間。
気分が良くなってギターを持って歌っちゃったりして。そんな波乗り仲間たちに感謝の気持ちを込めて作った歌。

7.太陽と海のうた

タイに友人夫婦がいて、有難い事にあまりお金をかけずに旅が出来たので、ラヨーンというタイの南の方にある海沿いの街によく行かせてもらった。お世話になっていた住まいも、海から近く滞在中は朝から夕暮れまで海辺で過ごしたりした。
タイ人の旦那さんのベンが音楽好きだった事もあり意気投合して、海辺や庭先で気が向くままに一緒にギターを弾いたり、ベンの友達が楽器を持って集まって来てセッションしたり。
砂浜にいた子供達とビーチサッカーをして仲良くなって、ギターを触らせてあげたり。
時間に追われずに過ごす瞬間を味わって、生き方を見つめ直したりして、皆んなでハッピーでいたいなぁなんて。
帰国してから、現地で録音したセッションを聴きながら、ラヨーンの太陽と海に想いを馳ぜながら出来たナンバー。
レコーディング中、この曲の最後のフレーズでパーカッションのアッキーがアドリブで入れたお茶目なコーラスがお気に入り!
明日も晴れるといいなぁ!
みんなの心が!という願いの曲。

8.baby girl

今まであまり余計な説明はせずに歌い続けて来たのだけれど、ライブでお客さんが一緒に歌ってくれたり、この曲がきっかけで俺を知ってくれる人達が増えたり、イベントに呼んでもらえるようになったり。今の自分の代表曲。
アルバムのタイトルも、いくつか候補があった中でこの曲名にすることにした。
いわゆるラブソングって言うのは、照れくさくてあまり得意では無いのだけれど、中々届かない想いを歌にするっていうのは、素直で良いんじゃないかと思った。
メロディが浮かんで、同時進行でサビの英語詞が浮かんで来て、日本語だとなぜかしっくり来なかったから、そのまま全編英語になった。
恋する想いを曲にしたつもりで歌い始めた曲が、まるで会えない自分の娘に向けて歌っている様になっていった。
‘たとえこの先、一緒に過ごせないとしてもこの想いは永遠なんだ’
いつか笑って会える日を夢見て、歌い続けているナンバー。

9.まるで

シングルをリリースした当時、シンガーソングライター土橋悠宇と出会った。
彼の産み出すメロディや詩の世界に惹かれ、仲良くなりツアーを共にするようになった。
彼の透き通った歌声の中に確かにある、うちに秘めた熱い想いや情熱を感じて、いつも刺激をもらっている。

箱根のフェスでの共演の後、悠宇君のホームでもあり、いつもお世話になっている御殿場リンコロというライブハウスに移動して、オーナータカさんの計らいで打ち上げをした。
気分の良くなった俺は、ギターを取り出して一緒に曲を作ろうよ!って悠宇君とセッション。 その時に録音していた音源をきっかけに、悠宇君が曲として仕上げてくれた。

翌年の共演の際に、急遽やりましょう!という事になり、共演の前日に俺の歌のバースを書き上げた。歌詞を書いたというより、自然に溢れて出て来たという不思議な記憶がある。
悠宇君の仕上げた曲に導かれたようだ。
アルバムには是非ともこの曲を入れたかったのでお願いしたところ、心よくオッケーをもらい実現したコラボレーションナンバー。
アルバムレコーディングも悠宇君の富士の裾野にある自宅スタジオから始まった。
他曲にもコーラスやギターで参加してもらったり、このアルバムに彩を与えてくれた悠宇君に感謝!これからも悠宇君との楽曲制作が楽しみのひとつ。この曲を聴いて、まだ土橋悠宇の曲を知らない人にも是非彼の世界を味わって欲しいという想いも込めて。

10.旅路のうた

このアルバムを物語っているように感じる曲。
バンドの活動が無くなって、どうして良いか分からずにいた頃、新しい曲が全く出来ずにバーカウンターで意味もなくただギターを弾いて歌っていた。
当時バーテンダーをしていたので、たまにお客さんの前で歌ったりすると喜んでもらったり、楽しい瞬間も沢山あった。
でも、何か物足りないものを感じていた。
それは新しい自分の歌だった。
サビが生まれるまで何度も作り直し、やっと出来上がった曲。
やはり自分は音楽をやめたくないんだという想いが募っていき、バンドは無くなったけれど
新たな形で始めてみようという気持ちに至り、がむしゃらになって作り上げた思い出がある。

このアルバムの最後の曲であり、
また新たな物語の始まりのうたでもある。

New Album 『Baby Girl』¥3,000(税込)

web shopにて好評発売中。